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コルトナの聖女マルガリタ                     記念日 2月 26日


 「ひとりの罪人が悔い改めれば、悔い改めの必要のない99人の義人より天ではいっそうの喜びがあろう」(ルカ15−7)。神の無限の慈悲によって教会はどんな極悪人にでも本人が望めば救いの門を開く。聖女マルガリタは、若い頃の美しさがあだとなって転落したものの、ひとたび恩恵の光に打たれてからは全く人が変わったように神を愛し、これに仕えて罪を償い、人類社会によい影響を及ぼした。
 
 彼女は、1247年、イタリアのコルトナに生まれた。両親は善良な農民だったが一人娘のマルガリタをかわいがるあまり、別に信仰にもとづいて厳しくしつけることもしなかった。そのうえ、彼女は目の覚めるような美人だったので人々にちやほやされるままに衣服を着飾り、浮かれまわった。実母の死後、少女マルガリタは継母に育てられたが、意見が合わず17歳の時家を飛び出し、モンテプルチアの城の住み込みお手伝いになった。城主はさっそくマリガリタをおだてて誘惑し、自分の内縁とした。こうしてマルガリタは人に後ろ指をさされ情けない思いはしながらも9年のあいだ日陰者で暮らし一子を産んだ。それでも感心なことに貧者を憐れみ気前よく金品を与えていた。

 ある日、城内の番犬が奇妙な鳴き声をしながらマルガリタのすそをくわえてどこかへ連れ出そうとする。不思議に思ったマルガリタは犬の後について森の中に入り、とある大木のところまで来た。悪臭がするので木の根本をよくよく見ると、そこに死体があった。顔にかぶせた木の枝をおそるおそる取り除いてみて二度びっくり、惨殺されているのは見るも哀れな情夫の姿であった。マルガリタは悲鳴をあげてその場に気絶した。
 まもなく正気に返った彼女は死体をつくづくながめながら考えた。「ああ人の一生は本当にはかないものである。若いとか、美しいなどはほんの束の間のことでしかない。この人の霊魂は今どうなっているのだろう。」そう思うにつけ、彼女の胸には過去のいまわしい罪悪が浮かんできて、自分の死後の暗い行く末にふるえおののかずにはいられなかった。
 彼女はこれを機会に泥沼のような生活から足を洗って、いかにつらくとも正道に帰り自他の罪の償いをしなければならぬと堅く決心した。そう決心するとさっそく子供を連れて城を去り、父の家に帰った。父親は娘の帰宅を喜んだものの、継母は「こんな娘がいると家の名折れになる」とあしざまにののしった。そこでマルガリタも途方にくれ、一時は「こんな目に会うくらいなら、どうせ親にも世間にも見捨てられた身だ。もとの放蕩を続けて短い一生を安楽に暮らしてやろうか」とやけぎみになった。が、すぐ「これは悪魔の誘惑だ。その手に乗ってたまるものか。」と思い直した。生活のことや未来のことを思うと心が乱れて夜もろくに眠れなかった。これは身から出た錆で、だれも恨むこともない。コルトナの教会の司祭を訪ねて意見を求めよう」とマルガリタはコルトナのフランシスコ会の聖堂に行って熱い痛悔の涙と共に総告白をした。それから聴罪司祭のすすめに従って小屋を借り受けて祈りと苦行の生活を始めた。また世人をつまずかせた罪の償いに、彼女はある日曜日聖堂の入り口に立ち、信者達に公然と謝罪し、手にした鞭を差し出して打たれることを願ったという。
 またマルガリタはフランシスコ第3会に入ることを望んだ。しかし過去が過去だけに。三年の試練期を経て悔悟の情の著しいことを認められてから、ようやく入会許可を得た。その後も彼女の償いに対する情熱は日を追って増大し激しい悪魔の誘惑にも、苦しい病気にもたじろがなかった。この真心が聞き入れられたのだろう、主はたびたび彼女に現れて慰め励まされたという。そのうえ、彼女のまじめな生活に感嘆して、罪人は多数改心し、信者の信仰はいちだんと高まった。

 このように、うまずたゆまず贖罪の生活を行うこと18年、心身の力を消耗したマルガリタは、1297年50歳の清い霊魂を神の御手に返した。
 その遺体はたえずよい香りを放ち、今日まで、さながら生きているかのように保存されている。